アキレス腱断裂から9日目、手術後3日目です
悶絶激痛の波が押し寄せては去り、また押し寄せては去り。それにしても
人体の不思議です。
ギプス内でどうなっているのか不明ですが、例の「探しあう腱」はもういません。あのひきつきあうような、キューっとした痛み「だけ」は手術後ぴたっと病んでいました、ほっ。
さて、
傷口もギプスには窓をつくってもらっているので、いざ!となればチェックできるのですが、痛いだけでは「いざ!」ではないのが、ケガ人の世界です。
深夜から明け方まで2時間ごとに、点滴投入!
他人のStruggle を知るために理由を説明してもらう必要はないよ。
聞きますか?「どうしてインフルエンザになったの?」
相手が苦しんでいるのに「なんで中耳炎になった(んだと本人であるあなたは思う)の?」
日々困っている人を前に「なにが原因で(幼少時に)髄膜炎になって、いま健常に歩けないのですか?」
悩んでいる人に「どこで、いつ、どうやってうつ病になったのだ(とあなたは考え)ますか?」
聞かないよね~💦
こういう問題解決に向かわない質問って、本質が批判か野次馬なんですよ。
事故や事件、ひどい災害にあった不運(確率的に防ぎきれない)な人々にこう聞くのに似ている。
「どうして高台じゃなくて、海沿いなんかに住んでたの?」(津波が来た)
「なんで半袖を着てたの!夜道をあるけば、痴漢に遭うかもしれないのに!」(なぜか被害者の非を批判、犠牲者のせいにしてる。犯罪者ではなく)
「だから日ごろから防災訓練を真剣にやっておけと言ったのに」(訓練と実際は違う+訓練してても完璧はない)
ほら。
こういう類の質問は、誰が何度聞いても、本人の苦痛や負担はな~んにも変わらないですよね。治癒が早まるわけでも、治療法がみつかるわけでも、実際に質問者にできることは(医療従事者だった)限られているのに……
つまり、
苦痛を代わってあげることができない以上、
そして、
問題の解決に直接的、間接的に関わらずプラスにならない以上、
本人の感覚、固有の気持ちくらい、「尊重」してくれたらいいのに。
それが「レスペクト」ですわ。
日本の人々って「レスペクト」=上をみる、上とする、目上として扱う、「尊敬」、高いステイタスとする
の様に勘違いしているけど、そうじゃなくて、「尊重」=違いを認めること、なんだ。
スポンサードリンク
お世話になった病院がつかっていたアイスノン(ソフトタイプ)はこちらでした。これが長時間持つ、そして柔らかめでありがたかった。退院と同時に自宅にも完備!大事ですね

次回「初対面で無言で足勝手に触るやつ」へ続きます