「どうして?」
悪気はないだけに、面倒なのが、こういうあるあるな質問。
特に邪悪というわけではないけれど、何か月も毎週聞かれて御覧なさい。親しき仲でも面倒になりますよ。
例えば「どうして骨折れたの?」
って、理由を一番知りたいのは本人です!(笑)そして理由はおそらく1つか2つだけではないので、知ったところで本人の苦痛や不便は何もまったく解決も改善もしないです。
ケガ人からしてみれば、「聞いてどうするの?」とツッコみたいところ。
例えば「え~!アキレス腱?!どうして切れたの?」
と私も何度となく、タクシーに乗る度に運転手に、お店に入るたびに店員に、そして久しぶりに誰かと連絡を取る度、ことある毎にわざわざ毎回、未だに何か月も聞かれ続けていますが….
「理由が確定できるくらい分かってたら、防げてるよ」とこれまた心の中でツッコみたいパート②です。
理由を聞きたい人って、誰のために、実際、何のために聞いてるんでしょうか?
明らかに自分のせいだったら、自業自得とでも言いたいのでしょうか。
それともやんごとない事情があって、それが自分に理解できる内容であったら、もっと同情してあげるよ、とか事故だったら仕方ないねと確率の問題で片付けるという意味でしょうか。
どのケースにせよ、失礼だし、やじ馬感がぬぐえません。
ケガだけでなく
「なぜ病気に?」「どうやってその症状に?」に代表される原因や理由の追求から、何か得られる相手は医師たち看護婦たち、医療従事者程度と分かりきっているので(実際に治療やリハビリや対策を練る人達)、これほど聞き飽きた質問はないです。
実際、相手(の理解力、想像力)が納得できるような理由がなかったり、あっても理由は1つ2つだけになんて絞れないので、答えも毎回同じような感じになります。例えば、ケガをした状況は説明できるけど、原因はおそらく無数にあり、ケガの条件もたくさんあり、相関関係、因果関係あるものが大量にある。
自分が同じケガをしたくないから防ぎたいというなら、医者や看護師や理学療法士に聞くなり、日ごろから健康やフィットネスを学びライフスタイルを変えればいいと思います。
それでも、なるときはなるんですがね!はは!
しかし、「実際に困っているケガ人、痛いと言っているケガ人、病を抱えている人に何度も聞くようなことなのか?」
これは人間性が出ると思いました。
「理由の如何の答えによって何かあなたは変わるの?私は何か変わるの?」と毎週思います。
例えば医療なら、確かに答え次第で対応(治療や環境)が変わる部分あるけども、理由次第であなたが勝手に程度を判断したり良し悪しをコメントしたりしたいってことなら、こういうやじ馬な質問は要らないです。
例えば、普段でも実際、相手の苦痛を軽減したければ、いちいち理由ばかりきかないですよね。「なんで風邪ひいたの?」笑 理由はたくさんある、誰にでもなる可能性がある、ただそれだけ。
そしてケガ人や病人には理由をきかれても「知らない」可能性があるし、理由をわかっているつもりだけな場合もあれば、「理由に興味がない」場合もあって良いと思います。
条件が重なれば、確率の問題で、誰でもあり得るのが本当の病気や不慮の事故、ケガです。
災害と同じだから。
わざわざ繰り返し聞かないでしょう?「どうして地震にあったんですが?」「なぜ津波が防げなかったの?」と…。
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